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<文化立都・大阪>は、都市の文化を継承・発展させ、新しい文化を創造していく感性豊かな創造者が集う都市でなければならない。
大阪にはもともと、商人をはじめとする民間の人たちが自らの私財を投じて、公共の施設をつくり、人材を育成してきた
歴史がある。例えば、中之島の公会堂や図書館などは、民間の財によってつくられ、現在も重要な文化拠点であり続けている。
また、懐徳堂や適塾などの私塾の伝統も、地域住民が文化の基盤を支えていたことを示している。その伝統的気質を呼び覚まし、
住民が中心となり、経済界および行政が一体となって、文化を創造する人を積極的に受け入れ、支える仕組みづくりをしていく
ことが重要である。
また、単に受け入れるだけでなく、彼らを時には温かく、時には厳しく評価する教養と眼力も、都市全体として養っていく
必要がある。そうすれば、個々人の持つ文化価値が互いに刺激しあい、新たな文化価値がそこから生じることになるであろう。
それは、大阪においては、誰もが文化創造の「主役」となるということにもつながる。 |
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価値観の多様化や市民社会の成熟がNPO活動の重要性を高めている。新たな都市の担い手として、NPOを想定することが
必要であろう。NPOは市場経済を補完する新たな社会経済システムの担い手である。
社会のさまざまな局面において市民グループの登用をはかる一方で、NPOの活動と社会のニーズを適切につなぐ役割も、
重視されなければならない。さらには市民のライフステージの各段階にあって、ボランティア活動への意識を高めることも
望まれる。
また地域に人材とビジネスを見いだすコミュニティ・ビジネスの振興を進めることが重要である。 |
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<文化立都・大阪>は、多様な文化を創出しつつ、文化創造装置をより加速させていくことも必要であろう。そのためには、
今考えられている文化価値からはみ出したもの、他の都市では受け入れられない文化も受け入れていく懐の深さが必要である。
パリ・モンマルトル、ニューヨーク・ソーホー、そしてロンドン・キングス・ロードなどに集った若者たちは、社会規範に
あわないとレッテルを貼られた。しかし、そこからモダニズム、ポップアートやポストモダン、そしてパンク・カルチャー
といった、時代を象徴する文化が創造されてきたことも事実である。
また、世界都市として、異文化も積極的に受け入れるべきである。ここでいう異文化とは、いわるゆ舶来のハイカルチャー
だけではなく、世界中の国々の多様な文化価値を意味しており、それらのすべてを受け入れていくことが求められる。
その契機として、大阪においてアーティスト・イン・レジデンスを推進することが望まれる。創始者の発表の場の集積や
交流空間、そして滞在・居住空間が近接する場を設定し、実施することが求められる
。アーティストたちを受け入れる場所で はなく、可能であれば都心部であることが望ましい。そしてアーティスト・イン・レジデンスに住民の積極的な参加を
促すことが求められる。 |
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一見すると<はみ出しもの>に見える文化や、見慣れない異文化を拒絶・排除することなく、また、無関心を装い無視
することもなく、積極的にコミュニケーションをはかり、お互いに文化価値を理解・尊重しあうことのできる都市であることが望まれる。
そこには、文化のバリアフリー化、すなわち、こころのバリアフリー化とホスピタリティが必要であろう。
<文化立都・大阪>の実現に向けて、文化のバリアフリー化をはかる必要がある。ここで言う「バリアフリー」とは、
単に障害者や高齢者のために物理的な障害を取り除くという意味だけではなく、より広義の意味を目指している。
ここで言うバリアとは、世代、出身、国籍、言語、貧富など、人々の生活におけるすべての差別意識であり、いわば人々の
こころのバリアである。
大阪は、文化の多様性に対するバリアを取り除く作業を通じて、御たがいの理解と交流を促進し、人々のこころの
バリアフリーを実現しなければならない。
健常者や障害者の区別なく、誰もが安心して生活し、訪れることのできるまちづくりを通じて移動のバリアフリー化を
はかっていく。また、海外からの旅行者に言語の不自由を感じさせないサインシステムの導入を通じて、さまざまな面で
バリアフリー化をめざす。 |
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